終末期鎮静(海外ではこれも安楽死というのでしょうか・・・) を選択したご遺族や医師など医療関係者は、 その『選択』についてずっと悩まれたり、後悔したりしているようです。 私もそうですが、 自分自身では『延命治療』の拒否を希望したり、 終末期鎮静(≠尊厳死・安楽死)を希望していても、 やはり、ご家族の事になると、 難しいことなのだと思います。
『ご家族とお別れしたくないという気持ち』 『大切なご家族(患者さん)の命を奪ってしまったのではないか』 様々なお気持ちが想像されます。
しかし、私が尊敬するアメリカのオステオパシードクター フルフォード博士は著書の中で(安楽死についてですが…) このように話されています。
時期がきたら、やすらかに死なせるのがいちばんいい。
その時期は人によってちがう。
100歳をこえても社会の 活動的なメンバーでありつづけ、活気のある人もいる。スポンサーリンクしかし、もはや自分で自分の責任がとれない人を機械的に 生かしておこうとするのは残酷でしかない。
死は肉体の、物質的なからだの終焉である。だが、 生命力は生きつづけるのだ。
老人ばかりではなく、 死の床にある若い患者も、時期がきたら、その人らしく死なせてやろうではないか。
いのちの輝きーフルフォード博士が語る自然治癒力 より引用
このような考えがバランスよく社会や医療現場で広がれば、 隷属的介護や老老介護の末の虐待や殺人などの事件や、 将来自分自身が痴呆や寝たきりになることへの不安も減少し、 少し『ドライ』だけど清々した世の中になるのではと思います。
もちろんご本人が『正気』を保っている間の 意思決定が一番重要なのは、言うまでもありません。 ご家族、医師の意向や判断は二の次です。
私の理想は健康寿命と言われている73歳ぐらいに(生き過ぎ?) 心不全などでポックリ逝くことです。 (ある意味筋トレもその為です) その前に寝たきりになったり、ボケてしまったら (痛くない方法で)あの世に送ってほしいです。
妻や子供達とも十分その事について会話をして いこうと思います。